私はシリコンバレーに怒られにきたかもしれない・・・
人から褒められたとき、自分の実力と伴っていないと感じることありませんか?
そしてついつい
”いえいえそんなことないです全然出来ていないです・・・”
なんて返しちゃう。
私がよくやってしまう会話なのですが、これってすごく生産性のない会話だとあとから反省します。自分は満たされないし、相手は返答に困るし。
しかもシリコンバレーではこの返答で何度も怒られています・・・
(理由はのちほど)
謙遜とかではなく、本当にそう思うからこそ言ってしまうのですが。
なぜそんな返答になってしまうのか。
今までは自己評価が低いからかなと思っていました。漠然と。
そんな中、今日考える機会があったのは、
自己評価と他人からの評価の違いについてです。
この考えは私にとって、とても腑に落ちました。
そして、私と同じことできつい思いをしている人がたくさんいるはずなので、これを知って少しでも楽になる人がいればいいなあと思っています。
まず、生まれてからずっと、自分は自分自身を見ています。
だから自分を評価するときは絶対評価です。自分の目標や在りたい姿に対してどこまでできたか(到達度)を考えます。
私は自身が在りたい姿、つまり理想がものすごく高いです。よって、なにをしても理想には追いつかず、評価が低くなります。
仮に理想に追いついたとしても、そのころには既により高みを目指し始めるので、いつまでたっても満たされません(自分で書いてて辛いですね・・・)
でも、他人は私(自分)をそこまで見ていません。そして、私を評価する際、似たような対象と比較する、相対評価をします。
年齢、経験、性別、スキルなど、その人が過去に見た誰かたちと比べられているのです。そしてその人たちよりも秀でていたら褒められます。
つまり自分と他人はそもそも評価方法が違うから、評価に差がでるというわけです。
うーん、だとしたら、一生評価の差に苦しむことになります・・・
そこで、今日おすすめされた対処法。
違う評価なのだとしたらもはや完全に切り離して考えるというものです。
相対評価は他人(評価する人)に大きく左右されます。その人と自分が合う・合わないという相性も関係します。ならいっそのこと、他人からの相対評価は意識しないようにします。
意識しないと言えども、せっかく高く評価してくれているのなら、ありがたく受け取っておきましょう。それは外から見えた自分の評価に間違いありません。
でも評価が低かったらサラッと受け流す。
都合よーく捉えます。
その代わり絶対評価を重視し、納得いくまでひたすら自分と向き合います。
どのくらい達成したか、努力できたか、自分の理想と限界を考えつつ評価します。
ですが、この方法にはひとつ問題があります。
理想が高い人はいつまでたっても報われないのです・・・
決して目標達成度が100%にならない。相対評価と絶対評価の差も苦しいですが、自己評価で満たされないのもなかなか辛いです。
そんなときふと、ある言葉を思い出しました。
9月に一大プロジェクトが終わり、できなかったことばかりを反省点として挙げた際、インターン先のWomen's Startup Lab のAri Horieさんがおっしゃったこと。
”もっと今の自分を認めてあげなきゃ"
そして、できたことも考えてまとめて後日提出するよう言われました。よくよく考え列挙してみると、できたこともちゃんとあったんだなとそのときはじめて気付きました。
シリコンバレーで会う人は皆、褒め言葉の受け取り方がとても上手いです。それはアメリカでは幼少期から自己肯定する教育をするからでしょう。よって、私が先程の”いえいえー”の返答をすると、こちらの人にはしばしば怒られます。
なぜ自分を認めてあげられないの? って。
シリコンバレーに来てから、初めて会う人にも何度も言われています。
自己評価が低いのはしょうがない。
自分の理想が高く追いつけないなら仕方ないことです。
でも、そんな自分にもできたことは必ずあるはずだから、そこはしっかり認めてあげると、辛い気持ちも少しは楽になるのではないでしょうか。
自分を認めるって、日本にはなかなかない(できない)考えだと思います。
一流の人が集まるシリコンバレー。
そんな地で様々な人に自分を認めて!って何度も怒られただけでもここに来てよかったなと感じています。
つまりまとめると、
・他人の評価は意識せず、とりあえず受け取っとく
・その代わり自分と向きあえ
・そして自分のよいところを認める!
でした。書いている中で、企業や社会の評価制度等を詳しく調べたくなってきたので、帰国後にやろうと思います。評価制度に関しておすすめの本や参考になる事例があれば教えていただきたいです。