なんで留学するの?の本当の答え
昨日、飲みの席でのある話で今までの疑問やもやもやが腑に落ちました。
書きたくてたまらないのでとりあえず書きます。
まだ整理された段階ではないので読みにくいかもしれません。
整理できたら書き直すかもしれません。
グローバル社会だのなんだの言われていて、留学や海外での活動の説明会やフェアに足を運ぶと必ず”留学はすべき!!”っていう人に出会います。
普段親身になって話を聞いてくださる方も、留学できるならしたほうがいいとアドバイスされます。
私自身も、母や妹をみたり自分で海外にいったりする中で、留学に対しては肯定的な意見を持っています。
ただ、とても疑問でした。
なぜみんな、留学や海外での活動を勧めるのか?
その理由が上手く言語化されていないように感じていたのです。
なんかしっくりこなかったのです。
留学を勧める理由として一番耳にする理由は、”価値観が変わるから”でした。
今まで過ごしてきた日本という恵まれた環境から離れることでなんとかかんとか・・・というものです。聞いたことある方多いと思いますし、つい昨日までは私もその言葉を借りて自分の気持ちを話していました。
でもなんか私の中では違和感があったんです。
留学や海外での活動が衝撃的な経験になることは確かなんだけれど、今まで二十数年生きてきたものが変化するのだろうか?そんな簡単に変わるものだろうか?
この理由が間違いというよりは、もっと適切な言葉があるんじゃないかと思っていました。
そして、昨日。
内定先の方と飲んでいたので、卒業までの残りの期間の予定を話す機会があり、留学や海外インターンシップを考えていることを話しました。
そこで言われたふたつのことが、この記事に今回書きたいことです。
まずひとつ目。
今回、行ける機会があるのなら行くべきだということ。でも、今回海外に行ったら、またいつかもう一度、海外に行くチャンスが出てくるはずで、今回よりも未来のそのときに得るもののほうが大きいということ。
この話、さっきまでの価値観とは一見違う話のようですが、私の中ではとても繋がったんです。数直線に例えるならば、今回、私は留学を通じて数直線のゼロの位置に立ちにいく。そして、次にチャンスが来たときは、数直線の+10とか+20とかに立つことができるはずなんです(或いはすでにそのチャンスまでにその場所に立った自分を確認するために行くんです)
成長とは今までと現在の差のこと。だから、”今までの自分”という基準を明確にしておかないと成長を感じることはできません。価値観を変えるというのは、数直線に乗りにいく(普段と違う環境に身を投じることで現在地を明確にする)ということなのかなと。
少し脱線しますが、3ヶ月前の私は、渡航先をどこにするか迷っていました。シリコンバレーでのインターンの受け入れの厳しい現実に直面し、すぐに受け入れてもらえるシンガポールにしようかと考えたことがありました。そんなときにある方からいただいたアドバイスがあります。
シンガポールは日本からアジアに進出する上で重要な場所だし、今多くの起業家や投資家が集まるアツい地域ではあるけれど、自分で一番最初にシリコンバレーに行こうと思ったなら、自分を信じて変えてはいけない。
そのときは、直感が大事なんだな、と思っていましたが、今思うとその直感ですら、現在の自分の立ち位置のひとつなのかなと思います。
話を戻して昨日のふたつ目。
今後海外にいくチャンスはたくさんあるが、その多くは自分のレベルより高いもので、自分のレベルとチャンスがぴったり合うものはほとんどない。
だからもし、レベルがぴったりなチャンスが巡ってきたら、無理して時間を作ってでも行くべき。
もしこの話が本当なのだとしたら、海外に行くことで自分の成長を実感できる機会ってそんなにないということではないでしょうか?(国内でも実感できる機会はたくさんあると思うので、海外に限った話ですが)
先ほど、成長は差だと書きましたが、私は成長というのは、時計の針のように等間隔に進むものではないと思っています。あるときは3歩、次の日は一歩も進まず、でもあるとき50歩進む・・・そんなものではないかな?と。
だから、もし2度目のチャンスが巡ってくるとしたらそのときは、成長の実感だけでなく、50歩の飛躍的な成長の前後なのだろうなと思います。
よく、自分の言葉に落とし込むといいますが、今回はまさにそんな感じでした。
まだ私は留学していないし、今まで長く書いたことは私の言葉に落とし込んだものなので、当てはまらない方もいると思います。
でも、そこで投げ出さずに自分で納得するまで考えるべきです。
分からなかったら、アドバイスを求めるべきです。
本当に、私にはアドバイスをくださる人がたくさんいるんだなと実感しました。(その本当のメッセージに気づくのは遅いので申し訳ないですが)
hime